「ありがとう」の反対語は「あたりまえ」
せっかくなので、「ありがとう」について書こうと思います。
「ありがとう」について語源から簡単におさらい。
ありがとう:感謝の気持を表す言葉。
「ありがとう」と「有難う」とありますが、「有難い」という言葉は「ある」ことが「むずかしい」という意味。
また「有難い」の類義は「希有(これは仏典から出た言葉)」。つまりは「めったにない」という意味になります。
そして反対語として名を上げたのは「あたりまえ」。
こちらは「当然(當然)」「当たり前」。どちらも「だれがどう考えてもそうあるべきだと思う事」「普通と変わらないこと、ありふれていること、世間なみ」という意味があります。
この反対語として出てきた「あたりまえ」には「当たり前=奇跡にも近いことが起こっているのに、きづいていない」という意図があるからではないでしょうか。
「あたりまえ」だと思っていることは、「実はとても大事なこと」だと私は思っています。
「ありがとう」ひとつで、「何かが変わるわけではない」と思うかもしれませんが、そんなことはありません。
相手が見えない中での「ことば」とは、その人の本質を如実に表します。
そのたった一言が出るか、出ないか。
自分の感情が先行してしまっている人は、この言葉が出てこないことがあります。
自分が嬉しい気持ちを表現することはとても大事です。けれど、それは一人ではできないということを忘れないでいると、自然と「ありがとう」という言葉が出てくるかと思います。
本来、感謝という想いは、強制や社交辞令ではなく、自分の内側から溢れ出るもの。
ただ、それが今まで少ない人なら、慣れなくとも「ありがとう」を口に、言葉に、文字に出してみると良いです。
「ありがとう」は言った相手と、自分の心を温かくする言葉なのですから。
私個人としては「ありがとう」という言葉は、反対語として肩を並べるような言葉がないほど「尊い」言葉だと思っています(*´ω`)
なので、もし「ありがとう」を「今までいっていなかったかもしれない」と「気づけた」のなら、それはとても「素敵」なことだと思います✨
受け止めずに誤魔化すことや、気づかないフリ、気づいたつもり、で終わらせてしまう人もいます。
「気づく」という行為は、本当に自分にしか出来ません。
その多くの人が、「気づいているつもり」「わたしはわかっている」と思うかもしれません。
しかし、自分は「大丈夫だろうか?」と自分自身に問いかけて、自分の言葉や行動を振り返ってみてはどうでしょうか。なにか気づくかもしれませんし、意識的に、無意識的にできているなら「自分、すごい」とほめる機会にもなります✨
自分を振り返って、他人に「ありがとう」を言っていなかった、なにかしてもらったのに「ありがとう」を言い忘れていた。
なんてありましたら、「いまさら」ではなく「いまから」伝えてもいいと思います。
せっかくなので、「感謝」の名言集を引用させていただきました。